自分の自然な感情を殺している
依存心の強い者は、他人の言動や気持ちに対しての要求が強い。
しかし他人は、依存心の強い者の要求どおりに行動することもないし、ましてや要求通りの気持ちになることもない。
通常の人間関係であると、人々はそうした依存心の強い人間を避けるようになる。
一緒にいても堅苦しいし、第一、楽しくない。
しかし親子関係だけは逃げることができない。
依存心の強い親は、ここで子供に喜んでもらいたい、ここで子供に悲しんでもらいたい
ここで子供に黙っていてもらいたいというような様々な要求をもつ。
しかし子供の気持ちは親のいうとおりに動くものではなく、自然の法則に従って動く。
つまり、不機嫌な親と狭い空間に一緒にいる時にはおもしろくない。
気持ちはうきうきしてこない。逆に学校で友達と楽しいことがあった時は嬉しい。
親が会社で不愉快なことがあって家に帰ってきたとしても、それとは別に愉快である。
依存心の強い親の要求は、常に自然の法則を無視している。
写真をとる時、「笑って下さい」と言われる。撮られる人は作り笑いをする。
笑って下さいと言われて急におかしくなる人はいない。それと同じことである。
ただ、写真を撮る人は、そこで「どうしてもっと楽しそうに笑わないのだ」と怒りだしたりはしない。
ところが依存心の強い人は、ここで怒りだす。自分の要求が通らないと怒りだす。
依存心とは、小さな子供のように無力な者のもつべきものであって大人がもつべきものではない。
大人が依存心が強ければ、周囲の弱い立場の者、無力な者は情緒の成熟を期待できない。
無力な者は、依存心の強い大人の期待する通りの気持ちになることで従順な良い子になるか、神経症になるしかない。
ただ、依存心の強い大人の期待する通りの感情をもつということは、自分の自然な感情を殺すということであるから、
従順な良い子とまわりには映ったとしても、内面には様々な情緒障害をもっている。
大人になり自然に情緒障害が解消されるものではなく、自分で気づき改善していくしか明るく生きてはいけない。