自分を偽らなければ熱中するものは見つかる
愚痴ばかりでグズグズしている人は、だいたいが抑圧の強い人である。
熱中するものが欲しければ、自分が実際の自分より立派なふりを自分と他人にしないことである。
そして、他人に迎合しないことである。
また、自分にとって、心理的に困難と思えることをやってみることである。
自分はどうしても、あの人の言うことにノーと言えない、という人は、まずノーと言うことである。
あの人の言うことはおかしいと思っても、どうしてもノーと言えないままにしておいて、
何か熱中できるものが欲しい、などと言っても無理である。
今まで他人に合わせるばかりで、自分を裏切り続けてきたのである。
それは、他人に合わせるために、本当の自分の感じ方を無意識の領域においやってしまった結果なのであるから。
何も熱中できることがないのに、きれいごとばかり言っている人は、
まず自分はそんなに立派な人間ではないと思ったほうが賢い。
いつもぎれいごとを言っているように本当に立派な人ならば、その人は何か立派なことに熱中できているはずである。
本当の自分は欲の皮がつっぱっているのに、無欲のように振舞い、
きれいごとを言っているから、熱中できるものがないのである。
運動から学問まで人間の興味の範囲は広い。自分を偽らなければ熱中するものは見つかる。
すべて身分相応である。内面の立派でない人間は、立派でないなりに生活することである。
立派でもないのに立派なふりをするから、内面が破綻してしまうのである。
内面の破綻、つまり無気力、無関心。
内面の立派でない者は、外面も立派でなく生きてみることである。
すると、立派な人に対する素直な尊敬もわいてくる。
やがて自分の内面も本当に立派になってこよう。ありのままの自分を認める。スタートはここである。
そのスタートを間違えると、逆の方向を走って行ってしまう。
努力に努力を重ねながら、暗い顔つきをし、妬みのとりこになってしまう。