自分で自分をどうしようもなくなっている
夫の独占欲の強さに悩んでいる奥さんがいる。
夫は奥さんが夫以外の他人のことをほんの少しでも世話しようと
すると不機嫌になったり、怒ったりする。また力ずくでさせない。
赤ん坊が夜中、隣の部屋で泣く。
奥さんが隣の部屋に行こうとすると袖をひっぱり、行かせない。
これほどひどい人は少ないだろうが、自分の独占欲、所有欲を意識していない夫は多い。
この激しい所有欲は、幼い日の重大な愛情喪失体験の裏返しなのであろう。
何とかそれをとり返そうとしているのである。
何とかその喪失をとり返そうと焦っているのである。
しかし、その心の空白は基本的には所有によって埋まるものではない。
富と名誉と数多くの女を所有しつつ、不安にさいなまれている男もいる。
自分の所有欲のさらに深いところに重大な愛情喪失体験があることに
気がつかないでいる人は、生涯焦り続けるであろうし、本当に親密な人ができないであろう。
やたらに人にいい顔をすることはあっても、近い人と幸せな生活ができない。
自分が自分の感情をもてあましている時、その最も奥深いところに
幼い日の重大な愛情喪失体験があるのではないかと反省してみることである。
愛情喪失体験者は、その心の空白を埋めようと焦るし、またその心の
空白を埋められないでいるからこそ、自分で自分をどうしようもなくなっているのである。
はればれとしない自分の感情には、おそらくそれなりの理由がきちんとあるはずである。
何の理由もなく、鬱屈したり、焦ったり、不安だったり、恐れたり、ということはない。
憂鬱になるにはそれなりの理由があるし、不機嫌になるにはやはりそれなりの理由がある。
ただそれが本人には理解できないだけの話である。理解ができれば気持ちもいくらかは落ち着く。
それを正しく理解しないで、正義とか富とかで逃げようとするから生涯救われないのである。