弱々しい自分
人は自分が気付いていない自分によって動かされているときもある。
だから心の病の解決は難しい。
理由もなく不安だとか、何だかわからないが不愉快だとかいう時には、
何か自分で気付いていないものが自分の心の底にある、と思ったほうが正しいのかもしれない。
気付かないものの一つとして、自分に対する頼りなさ、弱々しさがある。
気が付いていないところで不安なのである。不安で何かにしがみつきたいのである。
そして親にしがみつく、恋人にしがみつく、妻や夫にしがみつく、ある特定の思想にしがみつく。
しかし、しがみつくとは本人は思っていない。しがみつくというのは無意識の部分での感じ方である。
しがみつくことは意識の上では合理化される。意識の上では立派な人だから、すぐれた思想だからとなる。
心の底の底で自分が弱々しく感じるとき、人は自分が今接している人が
強くあって欲しいと願う。自分を弱々しく感じるというのが
意識の部分としてあるのなら、自分が強くなろうとするかもしれない。
しかし、多くの場合、この弱々しく頼りない感じというのが
無意識の部分であるため、今接している人に強くあって欲しいと願うのである。
人はときに強い英雄を求める。強いものを求める。
自分の払っている犠牲がどれだけ大きいものか意識の上で分かりさえすれば
自分の今接している人が強くあって欲しいと願うより、自分みずから強くなることを願うであろう。