修羅場がなければみんないい人なのである

真面目であることに逃げている人がいる。
真面目であることで、全ての問題を解決しようとしている。

真面目だけれども人を信用していないビジネスマンは多い。
一緒に修羅場をくぐってはじめて「この人は信頼できる」とお互いに思うのである。

相手のためにつらい仕事を引き受けてはじめて信頼関係ができる。
一緒に修羅場をくぐるためには相手を信用していなければならない。

自分が相手を裏切る可能性があると思う人は、逆に相手から
裏切られることを恐れる。そこで相手を信用できない。

自分を信じていない。だから相手を信じられない。
現実に直面することが怖い。そこでとにかく真面目であればなんとかやりすごせるだろうと考えている。

「この人は真面目だけれども足を引っ張る人だ」と見抜けてこそはじめて人の上に立てる。
もちろん「この人は真面目だけれども足を引っ張る人」だから切り捨てるというのではない。

この人はこうだと知ってその人を使うということである。切り捨てるのは簡単である。
修羅場を通して人が見える。修羅場がなければみんないい人なのである。

修羅場がなければみんな勇気ある人を演じられる。修羅場ではじめて弱い人が見える。
ずるく立ち回る人が見える。日頃、派手なことをしないが逃げない人が見える。

「あいつは腰が座っている、逃げない」と分かる。
他方、「あいつの日頃の強気の発言は弱さの裏返しだ」ということも分かる。

そのようなことが分かってはじめて人の上に立って仕事ができる。
修羅場こそ人を見る絶好の機会なのである。