他人のすることにいつもケチを付けていないと気が済まない

夫が隣人、学生時代の友人や会社の上司や、マスコミで騒がれる人達をけなす。
奥さんは何でそんなにいちいち人を非難するのか理解できない。

夫がすぐに人をけなしたり、馬鹿にしたりするから、何となく話を聞いていてもイヤである。
しかし夫は人を軽蔑するときには話に熱が入る。
奥さんには自分達とは関係ない人なのに何故夢中になって軽蔑するのか分からない。

夫は人をしつこく見下げることで、何とか自分の神経症的自尊心を維持しようとしているのである。

夫にしてみれば、それらの人が自分の価値を脅かすから、いつも
その人達を見下げておかないと、自分の価値が下がってしまうような不安に襲われているのである。

劣等感の強い夫はその人達を見下げていると気分がいいのである。
ところが奥さんの方は隣人を見下げるような会話が不快なのである。

自分に自信がある人はそんなに人をけなしていなくても気持ちが晴れている。
しかし自分に自信がないくせに自信のあるフリをしている人、
つまり劣等感の強い人は他人のすることにいつもケチを付けていないと気が済まない。

夫は他人のすることにいつもケチを付けているときが気分いい。
しかし奥さんは嫌な気分になる。

目の前に登場してきている人物が二人に違って映っているのである。
夫には自分の価値を脅かす存在であり、奥さんには真面目に働く立派な人である。

奥さんにしてみればその人の価値を認めることと自分の価値とは何の
関係もない。つまり周囲の人は自分にとってはなんの脅威でもない。

二人で話しているときには二人の気持ちはちぐはぐになる。
夫は隣人をけなしているときに奥さんがのってこないので面白くない。

そこで夫は話をもっと誇張する。奥さんはもっと不愉快になる。
そこで二人の気持ちの乖離はますます大きくなる。

二人の気持ちの行き違いは悪循環に陥る。
人をけなしている夫はむきになる。奥さんはむきになった夫を見てますます白ける。
それに夫が怒り、話しの核心がそれてくる。
二人とも面白くなくなり、話題がとんでもない方向にそれていく。