人に束縛されて不愉快になる

外出時に奥さんから、
「今日は帰りは何時頃になるの?」と聞かれると不機嫌になる夫がいる。

しかし、そのとき「うるさいなー。何時になってもいいだろ!」と
答える夫であれば、不愉快にはならない。

あるいはそう聞かれても何とも感じないほど心理的に成長している
夫なら不愉快にはならない。

自我が確立していなくて、心理的に依存している人の何気ない一言によって
自分の世界が混乱してしまうような人が、不愉快な気持ちを味わうのである。

相手は干渉するつもりはない。
しかし干渉されているように感じてしまう。

自我の確立を始めた中学生が母親に日記を見られた時の不愉快さである。
あるいは自分の部屋に入ってこられた時の不愉快さである。

べつに母親はその子に干渉するつもりではなく、単純に入ってきても
子供にとっては不愉快である。

その時母親に、「入ってくるな」と言える子供は不愉快にならない。
しかしすべての子供が「入ってくるな」と母親に言えるわけではない。

やはり、「入ってくるな」と言えない子供が不愉快になるのである。
心のどこかで、見捨てられる不安を持っているのではないだろうか。

あるいは心理的に母親への依存性が高くて、攻撃性を意識することが
危険である場合である。

自立への願望を意識し始めないうちは、干渉されたような
気持ちになって不愉快になるということはない。

また自分の世界が確立してしまえば他人の一言で混乱することもない。
相手が支配干渉しようともしないのに、一人で支配されるような
気持ちになって不愉快になることもない。

被害者意識は自我が確立していないから持つのであろう。
疑われていないのに、疑われていると思い込む。

干渉されていないのに、干渉されていると思い込む。
そして一人で勝手に不愉快になっている。

頭では束縛されていないと分かっていても不愉快なのは不愉快なのである。
それは自我の確立していない人は、一方で束縛されることに
拒否反応を示しながら、他方では世話をされたい、面倒を見てもらいたいと
願っているからである。

身近な人でなければ自分自身が心理的に依存していないので、
一緒にいても気づまりではない。

身近な人でなければ心理的に圧倒されることもない。
遠い人となら一緒にいても自分を維持できるから案外軽やかな気持でいられる。