人を見るときに「かたち」にとらわれていない

真面目に勉強している。真面目に生活している。だから立派な人に違いない。
真面目に働いている。だから結婚相手にいいのではないかと考える。

これらの考え方には心が入っていない。
真面目に働いているが心のない人はたくさんいる。

まさにそれらの人がうつ病になるのである。
現実から逃げて、かたちを整えることばかりに関心がいっているから、
最後の土壇場で挫折するのである。
真面目に働いているが心のない人は土壇場で友人を捨てる。

「真面目に働いている。だから結婚相手にいいのではないか」という
発想で結婚相手を選ぶ人は、その真面目に働いている人が、なぜ真面目に
働いているのだろう?ということを考えない。

真面目に働いているかたちにとらわれてしまう。
なぜ真面目に働いているのだろうというところに心の問題が潜んでいるのである。

心を大切にする人は人を見る時に「かたち」にとらわれない。
「あの人は真面目に働いていないようだ。なぜか?」そう考える。

そこに相手の心が見えてくる。
心を見る人は、真面目に働いているか、真面目に働いていないかよりも、
その働きのなかにある心を感じ取る。

たとえば、あの人は真面目に働いている。「かたち」はできている。
しかしあの人には心がないと見えてくる。尽くしても裏切られるということを感じる。

執着性格の人はみんな「かたち」はできている。しかし肝心の心が入っていない。
そしてそういう人ばかりと付き合っている。だから土壇場で誰も助けてくれない。
そして孤独に挫折するのである。