人は立派でなくても愛される

小さい頃から、周囲の人に責められ続けて生きてきた人は、自分が人を傷つけていないのに
傷つけていると錯覚することが多い。特に内向的な人はそうである。
自分は悪くないのに悪いと思う。

大人になっても最初は習慣でそのように思うが、すぐにそうではないと気がつく。
そこで、その自責の念を払いのけるために不必要なまでに、「自分は悪くない」と言い張る。

周囲の人には、この心理的に幼児の人の利己主義や無責任だけが眼に入る。
しかし、初めは優しい子供だったのである。そして極端から極端に走ってしまった。

自分の責任と感じ、自分を責める心理は、内向的な幼児の心理である。
心が未成熟なまま大人になった人は自責の念と、その反動形式としての利己主義と無責任で生きている。

否認だけが自分の自我を守ってくれると思っている。自分は悪くないと思うことで逃げようとする。
おかしな言い方であるが、人は悪くてもいい。悪くたって愛される。

それが心が未成熟なまま大人になった人には理解できないのであろう。
彼らは立派な人と思われなければ、受け入れられないと思い込んでいる。

人間はときに間違いを犯す。それでも愛される。
心が未成熟なまま大人になった人は、そのことを小さい頃に感じることができなかったのである。

立派でないことに罪悪感を感じる。その罪悪感に苦しめられるのが辛くて。「こてでいい」とか、
「これがいい」と言って突っ張っている。