良い人であり続けることによって、ますます憎しみは抑圧される
自分で自分を憎んでしまった者は、心の葛藤から逃れるために
従順になる。従順になることで相手に気に入られようとする。
自分で自分を憎んでしまった者は、表面的には従順なのだけれど心の底は敵意がある。
心の底で敵意を感じながらも、それを感じることは、自分と親との
関係に危険だと思うがゆえに、その敵意を抑圧する。
自分が生きていくために、心理的に親を必要としているからである。
小さい子供にとって親は巨人である。
この巨人に見捨てられることを恐れて、子供はひたすら従順になるのである。
そして自分で自分を憎むことになる。
大人になれば親は巨人ではなくなっているはずなのに、ところがまだ巨人と感じ続ける。
親ばかりではない、大人になって周囲にいる関係者をみな巨人と感じはじめるのである。
この巨人に憎まれたら自分は生きていけない。
それなのに抑圧された憎しみは、この巨人に投影されている。
となれば周囲に対して従順になり、服従するのは当たり前だろう。
自分の中に敵意など感じたら、一時として生きていけなくなる。
そうすれば親の前でひたすら良い子であった人は、
大人になっても巨人の前でひたすら良い人であり続けるしかないのである。
良い人であり続けることによって、ますます憎しみは抑圧される。
見せかけだけの良好な適応で心の底は憎しみの炎がメラメラと燃え盛っていたのではないだろうか。
しかしその憎しみをどうしても表現できなかった。弱いからである。
そしてついに「どうでもいいや」という最後の抑うつに逃げこまざるを得なかったのであろう。
抑うつになる以外、どのような生き方も残されていなかったのである。
好んで抑うつになっているわけではない。どうしようもなかったのである。