親の歪んだ子供像につくりなおす

人間にとって恐ろしいのは自然の感情の流れを失ってしまうことである。
支配的な親に感情を押しつけられて育った子供は、どうしても自らの自然の
感情の流れを見失う傾向がある。

まず自然に自分がある対象に対してある感情を抱くのではなく、それ以前に、
その対象に対して持つべき感情を押しつけられる。

あることが好きであるか、嫌いであるか、自分の自然の感情に従って
感じるのではなく、まずそれ以前に好きであるべきこと、嫌いであるべきことがある。

あるいは好きである筈のこと、嫌いである筈のことがある。
あることを自分が自然に面白いと感じるのではなく、それ以前に、
面白い筈であったり、つまらない筈であったりする。

自分の実際の感情の流れに従えば、つまらないのに、これは面白い筈だから、
面白いと感じている子供がいる。これはやはり恐ろしい。

自然の感情の流れに従えば、つまらないのに、面白い筈だから
面白いと感じているのである。これと逆のこともある。

大人にとっては、くだなくて、つまらないことがある。
しかし小さな子供にとっては面白い。

そんな時、支配的で我執の強い親は、こんなことはつまらないから、
あっちへ行こうと言う。あっちのほうがずっと面白いと言う。

確かに大人から見れば、こんな所にいるよりは、あっちのほうが
ずっといいということはよくある。しかし子供はそうは感じていない。

そんな時、我執の強い親は怒る。
そこで子供は自分の自然の感情の流れをとめる。

自然な感情を殺して、持っている「筈」の感情をつくりだす。
そしてその子供像に実際の子供が当てはまらないと怒り出す。

親の保護なしに生きていけない子供は、その我執の親の子供像に
自らをあてはめる。自然な自分を、その歪んだ子供像にあわせてつくりなおす。