人は過去に支配されやすい

小さい頃、兄弟げんかをしたとする。
弟の自分としては、兄が自分をからかい、馬鹿にしたと感じ、それが、けんかの原因で
あると思っている。

そこで親に叱られる。しかし、親は兄の言い分ばかり聞いて、弟の自分の言い分を
少しも聞いてくれないと内心不満である。結局は、自分が悪いということにさせられて
兄に謝らせられた。

こんな時、弟はどうなるか。
弟はこのような体験が二、三回あると、自分にとって重要な人々は、自分の言い分など
ちっとも聞いてくれないと感じ、そのように決め込む。
時には、たった一度の体験でそのように決め込んでしまう。

誰も自分の言い分を聞いてくれないと決め込むと、次には、自分の言い分など言うに
値しないと感じだす。そして自分を主張するということをやめてしまう。
やがては、自分は何かを主張するに値しない人間だと感じ始める。
そしてただ他人にしたがっているだけの妥協的な大人になってしまう。

心の底ではいつも不満だし、自信がなく、生きていることに、大して意味を
感じない人間になってしまう。

人は過去に支配されやすい。しかも、たった一度や二度の自分に対する不当な仕打ちによって
自分の価値を決めてしまうことがある。

子供の時、自分の言い分をもっと聞いてもらいたかった。
しかし、その要求が満たされないまま成長してイエスマンとなり、生きている意味を
感じなくなってしまった、そんな人もいるだろう。

そんな人は、まず子供の時の自分の必要が満たされていないということに気づかなければならない。
自分の言うことに耳を傾けてもらいたかった、そんな心の要求に気がつくことである。
自分の要求が無視された結果として、自分がどのような人間になってしまったのか、
その点を真剣に自分に問うてみることである。