あなたは苦労を明るく笑えるか、笑えないか
下積みの時期には誰だって脚光を浴びている人の悪口を言いたくなる。
しかしそのときに悪口ばかり言う人間になるか、明るい顔で
下積みの時期をすごすかで、後の人生は違ってくるのではないだろうか。
仕事で大をなした人で下積みの時期がなかったなどという人がいるだろうか。
この下積みが、自分の願いを叶えるためのステップと思うことができれば笑える。
しかしそう思えなければ、心の中はドロドロとした不満が渦巻くことになる。
下積みをステップと考えて明るく笑っている人と、
「自分はこんなにやっているのに」と不満で暗い顔をしている人と、
どちらに幸運が訪れるであろうか。
下積みは無駄ではない。そこで人間が鍛えられ、人の痛みが分かる人間になれる。
下積みの時期を無駄にしてしまうのは、その人の生きる姿勢なのである。
もうひとつある。「私は苦労した、苦労した」と言う人がいる。
確かに苦労はしている。
しかし、はたから見ると、「何もそんなに苦労しなくてもいいのでは?」
と言いたくなることもある。
それは、その人の苦労の原因が、人を押しのけてでも自分が偉くなりたい
からだと見えることがあるからである。
あまり「苦労した、苦労した」と言われると、
「苦労はあなたがしたいからしているだけでしょう」と言いたくなるものである。
そういう人は下積み時代に「誰も私を助けてくれなかった」のではなく、
「私自身が歪んでいたから、皆が私を助ける気にならなかった」と言ったほうが正確なのである。