怒りの処理というのは難しい

会社を辞めたいと相談してくる人は多い。会社の自分に対する扱いが許せないのだという。
人間関係が耐えられないという。上司は自分を正当に評価していないという。

とにかく色々な不満を述べる。
しかし聞いていると、その人は自分はいつでもどこでも正しく公平に
大切に扱われなければならない、という前提がある気がする。

その人が憤慨していることがもし全てその通りであるとしても、
上司は、同僚は、会社は、部下はそのような扱い方以外に
その人を扱わなかったのか、という疑問は残る。

おそらく会社にも、上司にも、同僚にも、いいところはあったし、
大切にその人を扱ったこともあるだろう。

しかしその人は、自分を不当に扱ったということにしか注意を向けていない。
自分も人間だし、相手も人間である。

自分が理想的でないように相手も理想的ではない。
自分だって周囲の人の全ての人を公平に人格を尊重して扱っているかと
いえば必ずしもそうではない。

自分が傷つけられた、傷つけられたと騒ぐ人は、案外自分が他人を
傷つけているということには無関心であることが多い。

また他人を傷つけながら、そのことに気づかないほど自己中心的だから、
他人の言動にそこまで傷つけられるのである。

自分が傷つけられたということは、もの凄く重大な問題のように騒ぐが、
他人は傷つかない人間であるかのごとく扱う。

それだけに傷つけられたと怒りがこみあげてきた時、自分に問いかけてみることである。

決して怒りを抑圧した方がいいということではない。
自分の怒りが理にかなったものかどうか考えた方がいいということである。

自分の怒りが自分の心の不安と葛藤ゆえに起きているものかどうか、
きちんと判断した方がいいということである。

自分の怒りの処理というのは大変難しい。
自分の怒りの処理をうまくできるようになった人が、大人というのであろう。