好かれようとする気持ちが空回り

他人には関心がないが、他人から好かれようと必死になっている人がいる。
他人から好かれようとする気持ちが強すぎるから、他人のことは
考えられないのである。

相手に関心がないから、相手のことがわからない。
その上で、相手から好かれようとして必死になるから、逆に嫌われることになってしまう。

彼らはどうしたら人に好かれるか分からない。
だから、好かれようと必死になるのだが、自分が唯一の現実だから、
することなすことが全て裏目に出る。

それはおそらく幼児期から本当に人に好かれたことがなかったからであろう。
特別に何もしない普通の形で好かれた体験をしていれば、
人はそれほど自分に執着する必要がない。

また、それほど人から好かれようと努力はしない。

普通の状態では自分は嫌われている。
何か特別なことをしなければ自分は嫌われている。と無意識の世界では思っている。

だから好かれるために何か特別なことをしなければならない。
例えば、好かれるためには、有名大学に入るとか、相手をほめるとか、
相手の言うことに喜んで従うとか、相手に御馳走するとか、
けっしてイヤな顔をしないなど、何かをしなければならない。

いつもその「何か」をしなければならないが、その「何か」をしたあとで、
それが「うまくできたか、できないか」ということが、気になって仕方がない。

いつも自分が好かれるか嫌われるかを気にしすぎているから、ふとした
周囲の人のしぐさで、「自分は嫌われた」と感じる。

その感じ方が、幼い頃は正しかったかもしれない。
しかし大人になってみれば、周囲にいる人は違った種類の人達である。

特別なことをしなくても、あなたのことを好きかもしれない。
それなのに大人になっても同じように人から嫌われると思ったり、
また、嫌われることが怖いのである。

だから、人といて、いつも怯えている。