自分を守ることが第一の関心である
ある熟年離婚をした二人。
二人とも善人であり、生真面目であった。
二人とも社会的に非難されることは何もしていなかった。
夫のほうは典型的な仕事人間であり、努力家だった。
会社の仕事をサボるなどということはなく、仕事熱心であった。
彼は夜遅くなると妻に寝ているように言っていた。
それは妻への思いやりであった。
そして夜遅く帰ると妻を起こさないようにそっと自分のベッドに入った。
やることなすこと妻への思いやりである。
しかしそれにもかかわらず奥さんは幸せではなかった。
御主人の思いやりは痛いほど分かりながらも、結婚生活に何か
満ち足りないものを感じていた。
そしてお互いに思いやりながらも、なぜか相手といると息苦しかった。
口実ができれば相手からすぐに離れたかった。
二人は結婚への義務責任感が強かった。
御主人は外に女をつくって家に帰らない男と違って必ず家には帰ってきた。
奥さんも外出がちで最後には不倫をするというような女ではなかった。
二人とも社会的には非の打ち所がないほど立派だったのである。
ただ自分の感情を表現できない、自分の感情を相手にぶつけられない、
そんな二人であった。
分かりやすく極端に言えば、御主人は奥さんに対しても、
初めて会った女性にも同じ態度であった。
始めて会った女性なら遠慮も必要だろう。言葉遣いも気をつけるのが礼儀であろう。
話題も当然適切な話題を選ばなければならない。
いきなりセックスの話をすればそれこそセクハラになる。
しかしこの熟年離婚をした夫婦は、セックスの話題がそのまま
セクハラになりかねない関係なのである。
熟年離婚ばかりでなく、真面目に努力しながらもなぜか人生が
うまくいかない人が結構多い。
問題を起こす子供を育てた親がそうである。
相手に対していつも親切なのであるが、どうしても親しい関係ができない。
皆真面目でいい人なのである。だが皆自分を守ることが第一の関心である。
相手を理解し、相手を思いやるのではない。
相手に評価してもらうための思いやりなのである。
相手の幸せを願っての思いやりではない。
相手に気に入られよう、気に入られようと思っているうちに
どこかおかしくなってしまったのである。
立派は配偶者と思ってもらおうとして素直な感情を抑えているうちに、
お互いに相手が不快な存在になってきてしまったのである。