理想像に照らし合わせてしか相手を見れない
自分が淫乱であることを受け入れている女は、男の浮気性を仕方がないと受け入れる。
男の浮気性を女の前で表現してしまう男は、女の淫乱な傾向を受け入れる。
決して淫乱であるが故に女を軽蔑したり、拒否したりはしない。
逆に自分が淫乱であるにもかかわらず、自分の本性に目を背けている女は、
決して男の浮気性を認めない。それこそ激しく非難する。
非難するばかりではなく憎み、軽蔑する。
そして淫乱な傾向が抑圧されて極度の生真面目で潔癖な女となる。
極端な態度を取る人はこの反動形成としての態度であることが多い。
実際の自分を受け入れられない人は、実際の他人も受け入れられない。
どうしても他人に対しては批判的になりがちである。
夫とはこうあるべきだという立派な夫像があり、その夫像に照らしあわせる形でしか
それらの奥さん達は自分の夫を認知できない。
二人の関係は、あるべき自分と、あるべき相手との関係なのである。
これでは立派な二人かもしれないが、心の触れあう二人ではあり得ない。
心の触れあいがなく、真に親しくなれない夫婦の特徴は、まず夫婦としての
理想像への同一化があって、現実認知がない。
その認知構造の歪みが、立派ではあるが、親しくなれない夫婦の特徴である。
夫はこうあるべきという理想像に照らし合わせてしか夫を見られない奥さんは、
決して不倫などしなくても、夫とは心の触れあいを持てないであろう。
また同じように妻とはこうあるべきという理想像に照らし合わせてしか
妻を見られない夫は、決して浮気などしなくても、奥さんとは心の触れあいを
持てないであろう。