甘えたくても甘えられない
自我を支えるのが自分自身の心ではなく、会社のポストだとすれば、
望まない人事異動のあとは、ささやかな喜びに感謝しようとは感じない。
どのような状態になっても、「もっと、もっと」と欲求不満になるのは、
自分を支えるのが自分の心ではなく、外側の環境だからである。
ほんのわずかな名誉でも「凄いなー、俺は」と思えるのは、
自分で自分の心を支えることができているからである。
しかし名誉で自分の心を支えている人は、わずかな名誉で満足はできない。
「もっと、もっと」である。
ある無名大学を卒業した男がいた。
何とかして周囲の人を見返そうと社会的成功を目指した。
彼は無名大学を卒業したという劣等感を癒すために事業を興しては失敗する。
失敗して隠れて、また出てくる。また事業を興しては失敗する。また隠れる。
また出てくるのは、隠れた先がほっとするところではないから。
そしてまた事業を興す。また失敗する。
もし彼が「俺は、○○大学卒業で凄い」と思っていれば彼の人生は違っていた。
失敗を繰り返す人、失敗することを恐れる人、失敗を認めない人、
彼らは皆もっと認めてほしい。
その欲で人生を間違える。その欲で夜も眠れない。
彼らは甘えたくても甘えられない、その欲求不満で眠れない。
これだけ認められているのだから、もうよいのではないか、と思えれば
彼の人生は違った。
しかし心の中に隠された敵意がある限り、これだけ認められているのだから
もうよいではないか、と思えない。
「もっと、もっと」認められたい。