穴のあいたバケツに水を注ぐような努力
人のすさんだ心はふとした振る舞いの中で出てしまうものである。
人を利用してずるく立ち回ってきた生き方が、笑い方一つにさえ表われる。
それは本当に瞬間的に小さな小さなことに表われる。
なぜその笑い方にすさんだ心が表われているのか証明はできない。
動物的な感覚が衰えていなければ、見分けられる。
もちろん逆も同じである。
正直に必死で生きてきた人の生き方は、ドアの開け方一つにさえ表われる。
エレベータ-に乗り込んできたときの、瞬間の乗り込み方に表われる。
動物的な感覚が衰えていると、それがわからない。
相手の容姿や地位はわかっても、その人の本質的な質の部分がわからない。
そして動物的な感覚が衰えている人は、容姿はいいけれど
ずるい人にひかれていってしまう。
そして毒のある人々との人間関係の中で生活が始まる。
そこでは誰もが嘘をついて生活をしている。
だからあなたは真面目に努力するのだけれども、いっこうにその努力が報われない。
一方的に頼まれごとをする立場に追いやられ、いつもあなたは日陰の人である。
人に利用されるだけで、努力の成果を味わうことはない。
あなたはいつも縁の下の力持ちで、日の当たる場所には出ない。
あなたが縁の下の力持ちで満足ならそれでいいが、たいていはそれがイヤなのである。
本当に満足している人は、自分が縁の下の力持ちとは意識していない。
周囲がそう見るだけである。
自分は縁の下の力持ちと意識したときには、その立場に不満なときである。
「俺は黒子でいい」と言う人は、黒子ではイヤな人である。
本当に黒子でいい人は、自分が黒子の役割を果たしていると意識していない。
満足しているということは、そういうことである。
毒のある人々との間で生活が始まると、不本意ながら黒子の役割を与えられてしまう。
しかも誰からも感謝をされない。
穴のあいたバケツに水を注いでいるような努力である。
これが燃え尽き症候群である。