自分の自尊心を維持するのに精一杯
人望のある人、自然と人の上に立つ人というのは、心に葛藤のない人である。
心の底では自分に自信がないのに、いかにも自分に自信があるように振舞う人というのには、
人はついていかない。
心に葛藤のあるような人は、他人の言動が自分の神経症的な自尊心を傷つけはしないかと、
いつもビクビクしているし、自分の言動が他人に悪く思われはしないかといつも
ビリビリしていて、他人のことを思いやるゆとりがない。
そんな人が周囲の人から人望を得る、などということはとても考えられないであろう。
自分の内面の問題を解決できる人にして、はじめて人への配慮ができるようになる。
他人によく思ってもらおうとするための配慮ではない。
そうした配慮をする人は、すぐに疲れてしまって長持ちしない。
他人に拒絶されることによって、自分は挫折する。その挫折を避けるための配慮というのは疲れる。
自分の内面の問題を解決できた人は、他人に対して配慮しなければと思って、
配慮するわけではない。自然と他人のことに気が付くのである。
自分が傷つかないようにと防衛的になっている人は、他人が傷つくことに対する配慮がない。
自分の内面のことでいっぱいで、そこまで配慮できないのである。
その能力の欠如を意志の力で補おうとする。だから、疲れるのである。
こう言ったら他人にどう思われるか、などということを気にしている人は、
他人のことをかばってやることができない。まず自分が悪く思われることを恐れるからである。
自分を偉く見せようとか、良く印象づけようとかしている人は、どうしても人望がない。
まず自分が他人に気に入られることが大切な人というのは、自分の部下のことなどを
思いやるゆとりがない。部下にも気に入られようとするし、上司にも気に入られようとする。
それでいて上司のことも部下のことも真剣に考えているわけではない。