自分にも他人にも本心を隠している

ありのままの自分の姿を受け入れるとは、今までの生き方を
良くも悪くも認めるということである。

今までの生き方を後悔して受け入れない時に、はじめてそれが本当の失敗となる。
失敗を受け入れた時に、失敗は失敗でなくなる。

そして自分を磨くとはそのような失敗をも含めて、経験の中から
学んで行くことである。

自分が美人だと思って一生懸命化粧することは、自分を磨くということと違う。
もし、磨くという言葉を使うなら、それは八方美人的な生き方である。
いわゆるエステに行ってきれいになろうとするようなことである。

それに対して、本当に好きな人に対して自分はどういうことができるかを
考えるようなことが、真に自分を磨くことに通じていく。

そして本当に好きな人から受け入れられて自信もつく。
いくら多くの人からでも、好きでもない人に好かれたのでは、
真の自信につながらない。そして勇気が湧いてくるわけでもない。

しかし、好きな人に好かれれば、自信も出るし、勇気も湧く。

ありのままの自分を見つめることのできる女というのは、
同時に男にとって都合のいい女では決してない。

だいたい男にとって都合のいいことを言う女というのは、
信用できないものである。

女にとって都合のいい男が魅力のない男であるように、
男にとって都合のいい女というのは魅力のないものである。

良妻賢母であること、あるいは貞淑な女であることが女の理想像として
描かれる時、その描かれた女の理想像を演じる女というのは、
自分自身を受け入れられていない女であろう。

それはちょうど自分の鼻が大きすぎるといって、それを気にして
出かける前にいつも鏡を見て、何とか小さく見せようと必死になって
化粧をする女と同じである。

自分自身の顔を受け入れていない女なのである。
こういう女は劣等感や優越感が強く、自信のない女である。