不運な時ほど人は試される
運は過去と同じようにどうしようもない。人間の力ではどうすることもできない。
「今、ついていない」と分かったら、じたばたせずに、その現状を受け入れることである。
運はやがて向いてくる。やがて幸運の時がくる。それまで待つことである。
あとから考えて、「あの時こそが、人生の勝負の時だった。よく耐えた。よく頑張った」
と思える時がくるように、じっと耐えて待つのである。
あの不運にじっと耐えた時こそ、自分の人生の基礎を築いた時であったと、
その不運が自分の人生の語り草になる時がくるまでじっと耐えることである。
不運な時こそ、未来へのビジョンが必要なのである。
不運な時、未来へのビジョンで自ら鼓舞し続けるのである。
することなすことがどうしてもうまくいかない時には、自分の人生はダメだと
決め込まないことである。自分の人生全体が不運なのではない。
大切なことは、「今、自分不運だ」と正確に考えることである。
単に、今という一時期が不運なだけである。
ひとつの不運を大げさに嘆いていると、次の種類の不運を誘い出してしまう。
不運な時ほど自分の今の幸運にしっかりと目をすえていなければならない。
スランプの時、スランプから抜け出そうと焦るほどスランプから抜け出せない。
抜け出せないばかりでなく、より不快感にとらわれて、より不安になるだけである。
人生で大切なのは、攻める時と待つ時のタイミングである。
スランプは休めという指示でもある。不運も同じである。
不運も、今は休めという指示である。