自己実現している人と付き合うと自分が解放されていく
神経症的な人は、自己実現する人と付き合うことである。
自分はこう思う、自分はこう感じる、自分はこうしてほしい、と
はっきり主張する人と一緒にいると、いつの間にか自分だって
自己主張していいのだという気になってくる。
相手は自分にこうしてくれ、ああしてくれと言う。
同じように自分もまた相手にああしてくれ、こうしてくれ、と
言ってもいいのだという気になってくる。
自己実現している人と接していると、そう感じられてくる。
しかし、神経症的な人と一緒にいると、相手は自分に「こうしろ、ああしろ」と
要求しても、自分の方は相手に要求してはいけないと感じる。
ただひたすら相手に奉仕するだけである。
それは幼い頃からあなたの周囲にいた神経症的な人が、
あなたに一方的に献身を要求していたからである。
そしてあなたの要求については全く周囲の人は気がつかなかった。
周囲のあなたへの要求はものすごかったが、あなたの周囲への要求は完全に無視された。
そうして育ってくる間に、いつの間にか自分は何も要求してはいけないと
感じてしまったのである。
もし何かを要求すれば、それは嫌われる、と感じてしまった。
あなたは愛されたことがない。そこで愛情欲求は強い。
そしてその欲しい愛を手に入れようとひたすら相手に従順であった。
しかしあなたの周囲にいた神経症的な人は、他人を愛する能力をもっていない。
そしてあなた自身も神経症的になってしまったのである。
ところが自己実現している人は、自分の要求もはっきりしているが、
相手の要求にも気がつく人である。
自分の要求もはっきりするが、相手の要求も叶えてあげようという姿勢が、
彼らにはある。
おそらくこのような姿勢が無意識にわたって、ふと「自分だって要求して
いいんだ」という気持ちになるのではないだろうか。
確かにあなたが従順に服従していた神経症的人間に対して、
あなたが何かを要求すれば拒絶されたであろうし、嫌われたであろう。
しかし自己実現している人間は、あなたが何かを要求したからといって
あなたをそのことで嫌うことはない。