キレるのは、一生懸命したことを認めてくれない時である
子供が種を蒔いて芽が出た。
種をびっしり蒔いたものだから、芽も出すぎた。
そこである人が間引きをした。
芽を持っていってしまったことは正しい。
しかし、子供は「くやしい」と騒いだ。
子供は努力したことを軽く受け取られた。
それがくやしいのである。
そうしたことが繰り返され、積み重なると、子供はキレる。
飴なら「あげろ」と言われればあげられる。
おもちゃなら「あげろ」と言われればあげられる。
そうしたことは、「こうしろ」と言われたようにできる。
教えられたことをできる。
しかし、自分が努力したことを「こうすべき」という立場から
簡単に「こうしろ」と言われると、そうはできない。
子供がキレるのは、一生懸命したことを認めてくれない時である。
叱られてキレる時も同じである。
こんなに一生懸命しているのに、叱られる筋合いはないと思うからである。
人が辛いのは、自分の気持ちを理解されない時である。
これは大人も子供も変わりない。