自分の欲求が満たされることは正義である
神経症的要求を持っている人は、傍若無人な態度をとり、
周りの人は皆自分に奉仕すべきだと信じ、そしてそのように
わがまま勝手な欲望が全て叶えられるべきだと感じている。
他人の給料のほうが自分の給料より多ければ、たとえ自分が
他人より働いていなくても、それが許せないのである。![]()
そしてもし自分が他人と同じかあるいはほんのちょっと他人より
働いたとしてーーそのようなことはあまりないのだがーー
もし他人と同じ給料ででもあろうものなら、その不公平に激怒する。![]()
他人が自分に何かをしてくれることについては何も感じない。
自分の家を他人のお金で改築することすら当然のこととして
要求できる神経なのである。
こんなことはちょっと想像できないかもしれないが、
この他人を親戚に置き換えてみれば、平気でそのようなことを
させている人はいくらでもいる。![]()
ところが自分の稼いだお金を他人のために使うなどということは、
夢にも考えられない。
考えられないというより、そのような状況でも起これば、
その状況の不当さに激怒して気が転倒する。
他人のお金が自分のために使われるのは当然で、自分のお金が
他人のために使われるのは断じて許せない。
許せないというのは、それが正義にもとるから許せないのである。
つまり彼等にとって他人が自分のためにお金を使うには正義であり、
自分が他人のためにお金を使うのは悪なのである。![]()
神経症的要求を持つ人にとっては、自分の欲求が満たされることは
正義であり、他人の欲求がそれと衝突するなら、その欲求は悪でしかない。
とにかく自分は常に正しいのである。自分は常に正しいという
感じ方というのが、普通の人にはなかなか理解しにくい。
自分と対立するようになった考え方、人、欲求というのは常に不正なのである。
これは幼児と同じであるが、ただ大人になっているので正義とか悪という
概念を知っている。
小さな子供は正義とか悪とかいうことを抜きに自分の欲求の叶えられることを求める。
神経症的要求を持った大人というのは、欲求実現は幼児でありながら、
頭だけは大人になっているのである。