不安を回避しようとしてしまう
情緒的に障害のある人は、どうしても間違った人間関係をつくりやすい。
つまり、自分の依存性を大切にしてくれる人に吸い寄せられていく。
そして、自分の自律性への傾向を大切にしてくれる人から離れていく。
情緒的に障害のある人は、自分の幸せを本気で考えてくれる
人を敵に回してしまいがちである。![]()
依存心の強い人間にとって、誉められることは気持ちがよい。
そこで、どうしても自分を誉めてくれる人に吸い寄せられていく。
あるいは、自分の嫌いな人をけなしてくれる人に吸い寄せられていく。
自分と一緒に悪口を言ってくれる人と付き合おうとする。![]()
つまり、心の葛藤という問題を未解決のままで、自分の不安を
軽減してくれる人に吸い寄せられていく。![]()
例えば、会社で思うように昇進できないでいるとする。
そんな時、心の底では昇進を望みながら、「会社なんてくだらない」と主張する。
「会社なんてくだらない」という価値観で身を固める。
そのような価値観に閉じこもる。
このような時、一緒になってその価値観に閉じこもってくれる人に
吸い寄せられていく。確かに一時的には、それで不安は回避できる。
このようにして自分の面子を保って不安を回避しても、
自分の意識と活動の範囲は狭まるばかりである。![]()
そんな時、一緒になって酒を飲んで上司の悪口を言ってくれる人ではなく、
新しい何かに挑戦することをすすめてくれる人は、煙たい存在でしかないだろう。
しかし、職場から逃げることなく、職場に再び立ち向かっていくか、
職場の外で何か新しく始めるか、そんなことで人間は成長していくのであろう。![]()
決して閉じこもることなく、新しい勉強を始めること、そんなことで
自我が成長し、不安なく生きられるようになるのである。
だが、情緒的に障害のある人は、不安なく生きられるような人間になるよりも、
不安を回避しようとしてしまう。
挫折が職場でなく家庭で起きたとしても同じことである。
離婚して仕事に逃げ込み、「結婚生活なんてくだらない」と同じく
結婚生活に挫折した人と飲んで荒れたとしても、問題は解決しない。![]()
それなのにそこから逃げて、「あんなのは馬鹿のするものだ」と
一緒に飲んでくれる友人を大切にする。
そのようにして飲んで悪口を言ってみても、不安は一時的に回避されるだけである。