病気は力を求める努力の障害になっているからイライラする
病気一つとってみてもその人がどのくらい苦しむかは人によって全く違う。
大げさに苦しむ人は、病気をして、病気そのものに苦しむ以上に
それに付随することに苦しんでいる。
例えば神経症的傾向の強いビジネスマン。
病気になるとその間仕事ができないということに苦しむ。
この病気で人より遅れてしまう。
会社でエリートコースから外れてしまう等々、病気以外のことで苦しむ。
あいつは今きっと能率よく仕事をしているのではないかなどと
同僚のことを考える。
競争意識の強い人とそうでない人とでは、同じ病気になっても、
病気になったときの苦しみは全く違う。
あるいは今病気でなければ、こんなことができるのに、
あんなことができるのに、と自分の今の状態を無念に思う。
仕事ができないで過ぎていく毎日に焦りを感じる。
だから早く治らなければと焦る。
思うように回復してくれない自分の身体にイライラする。
そのイライラがよけい病気の回復を遅らせる。
仕事ができないままで過ぎていく時間という事実は同じでも
その辛さは人によって全く違う。
焦ってイライラしている人に比べて、逆に落ち着いている人もいる。
「かえって病気になってよかった。ここで十分休養しておこう。
神様が休めと言っているのだろう」と思って回復を天に任せる人がいる。
この人と焦る人とでは、同じ病気になっても病気になった苦しみは全く違う。
焦りの根底にあるのは、力への渇望である。
何事も思うようにいかないとイライラする。
この焦りと深くかかわっているのが、力を求める気持ちである。
病気は力を求める努力の障害になっているからイライラする。
極端な話をすれば、仕事依存症の人と楽天的な人とでは同じ病気の苦しみは
天と地ほどの違いがある。