不幸な人と不幸な人との関係
親しいからケンカをしない時と、親しくないからケンカをしない時がある。
ケンカをすろことがないというのは、ときには友達ではないということである。
人は神様でないから、慣れ親しめば不満は出る。トラブルは起きる。
そのトラブルを解決することで、今までよりも一層親しくなる。
トラブルはコミュニケーションで「あなたの本音を話して下さい」と
叫んでいるのと同じである。
ケンカはある出来事の解釈の違いから起きる。
おそらく両方が正しい。
外国人との結婚を考えればわかる。
文化が違うから、トラブルになってもどちらが悪いというわけではない。
正しいことと正しいこととの矛盾である。
正面からぶつかったときには両方に言い分はある。
トラブルの解決において大切なのは頭の理解ではなくて、感情の納得である。
頭の理解は危機が去ると再び腹が立つ。
嫌われるのが怖い人は、よく見て見ぬふりをする。でも知っている。
そういう関係は長続きしない。
例えば学生時代にそのように無理な努力をして友達として付き合っていても
それでは卒業と同時にその友情は終わりになる。卒業してから会わない。
一番淋しいのは離婚を決意してその後、同じ屋根の下で生活することである。
なぜこうなるか。
それは時間の経過とともに自分の小さな不満がどんどん大きくふくらんでくるからである。
小さな不満のたびに「面白くない」「こうして欲しい」という会話が
言えていれば、離婚には発展しない。
ふれることができない関係、遠慮の関係はこうした小さな感情、
細やかな感情に目がいかない。
不幸な人と不幸な人との関係においてはお互いが同情的になる。
そしてお互いに感情の表現をしない。