スキャンダルを追いかける人の心の底
人の不幸を願うことは卑しい
しかし自らの心の不安を他人に優越することで解消しようとした人は、
人の不幸を願わざるを得ない。
人の不幸を願うというより、人の不幸を必要とするといったほうが
正しいかもしれない。
成功したり、幸せそうに見える人の不幸に対して、異常な関心を
人々が示すことが、何よりの証拠である。
成功した人のスキャンダル、幸福そうな人の不幸な事件は、
心の救いなのである。
しかし自分がこのように卑しい人間だとは、誰も認めたくない。
それでそのことを隠すために、正義が登場する。
しかし他人のスキャンダル、不幸な事件はあくまでも一時的な
救いでしかない。
人が本当に幸福になるということは、そんなに生易しいことではない。
そのとき、そのときでいちばん心理的に楽なところに赴いていっては、
なかなか幸福にはなれない。
自分の心の不安に直面するということは、その時点で考える限り、
もっとも辛いことかもしれない。
しかし長期的に考えれば、それが本当の幸せになる道なのである。
他人がどうなるかということに、自分の幸福、不幸が依存していると
いうことは、心理的に不健全である。
そして他人が不幸なときにはホッとし、他人が成功したときに
恨むというようなことは、その人が自分の人生を失っているということでもある。
他人がどうなるかに心理的に影響されるという生き方を
しているのでは、せっかくの人生は台無しである。