周囲の人の期待を勝手に誤解し、勝手に不満になっている
自分がやりたいことをやらないでおいて、不満になる人がいる。
周囲の人がその人に何も禁止していないのに、勝手に禁止されていると
感じてしまうのである。
ある一日が過ぎていく。その人の周囲の人はその人が怠けていようが、
働こうが、遊ぼうが、その人の好きにすればいいと思っている。
しかしその人は自分のしたいようにしない。
こうしたら周囲の人に気に入られるだろうというようなことをする。
周囲の人が決してその人に期待していないような行動を期待されていると感じ
そのように行動する。
実際に周囲の人がその人に期待しているのは、その人がしたいように
することである。しかしその人は周囲の人に勤勉であることを期待されていると
思い、その期待に応えることで気に入られようとする。
そして自分のしたいことをしない。しないでおいてやはり不満になる。
その人は周囲の人の期待を勝手に誤解し、勝手に不満になっている。
しかもその不満は積み重なることによって、憎しみや敵意にまで発展して
いくことになる。憎しみは抑圧される。抑圧された憎しみは投影される。
つまり周囲の人は自分に悪意を持っていると感じだす。
そしてその悪意を避けるために、周囲の人の期待にそおうと努力する。
しかしその努力は全て的外れなものでしかない。
そもそも期待そのものを誤解しているのだから。
さらに基本的に誤解がある。自分が他人に気に入られるためには、
他人に特別に何かしなければならないという誤解である。
勝手にあることを期待されていると勘違いし、その期待に応えなければ、
ダメな人間と思われると、勝手に決め込んでいる。
幼い頃自分の気持ちが周囲の人に理解されなかった人は、
大人になっても理解されないという前提で物を考えがちである。
だからこそ、ことさらに自分のことを訴えるのである。
またそれだけに言い訳がましくもなる。
理解されないと思うから、色々と理由をつけて言い訳をするのであろう。