「こう」ならなくても不幸にはならない
不安な人は「こうでなければいけない」という非現実的な基準を持っている。
したがって、その基準に達しない部分に意識が集中する。
生活程度も同じである。自分にふさわしくないほど高い基準を設定する。
その非現実的な基準を達成しなければいけない、達成すべきであると
思い込んでいる。
そこで少しでもその生活程度に達しなければ、不幸になる。
そのレベルに達してない部分に意識が集中する。
しかし不安がなくなれば、自然とその非現実的な基準は自分の心の中から消えて行く。
不安がなくなれば、なんであのような高い生活程度を維持しなければ
不幸であったか分からなくなる。
「こうでなければいけない」と思い込んでいるのに、「こう」なれなければ
心理的にパニックに陥る。
しかし「こうならなければいけない」と思い込んでいなければ、
「こう」ならなくても不幸にはならない。
色々な事情から生活程度を下げなければいけなくなる時に、
心理的にパニックに陥り、挫折する人がいる。
そのような人にとっては、生活程度の基準は単なる生活程度の基準ではない。
それは自分を不安から守るものである。
したがって、生活程度を下げるということは、単に不便に耐えると
いうだけの意味ではない。
自分の情緒的未成熟を外側の体裁で補足しようとする者にとって、
外側の変化は耐え難い。
そのためいつも生活程度が下がらないかと不安になる。