人に見せるための人生
端から見ると恵まれた人生を送っている人がいる。
しかし本人は辛い人生だと悩んでいたりする。
何故だろう。それは自分がしたいことをして恵まれた人生に
なっていないからである。
自分がしたいことをして、結果として恵まれた人生になった人と
皆がワー凄いと言う事をして、恵まれた人生になった人では、
同じように社会的経済的に恵まれていても幸福感は全く違う。
皆がワー凄いと言う事をして成功した人は、端から見て恵まれていても
生きるのが辛い。生きるのが辛いとは心が満足していないということである。
端から見て恵まれていても、生きるのが辛い人は人に見せるための
人生を送っている人である。
生きるのが辛い人の問題は、自分の理想像への執着なのである。
ただ自分の理想像への執着と言うと、何かかっこいいようだけれども、
それは単に虚栄心が強いというだけのことである。
理想の自分とは要するに、皆からワー凄いと賞賛されるような人間である。
もちろん心理的に健康な人も皆からワー凄いと賞賛されたい。
しかしそれはあくまでも自分が好きなこと、自分の適性にかなったことで
成功して誉められたいということで、神経症者のように自分の適性と関係なく
誉められたいとは思わない。
神経症型の人は現実の自分の実力、能力を無視して、何としても
理想の自分になろうとする。
だから疲れていても仕事を休むことができないのである。
彼らは走って走って走り続ける。彼らも誰かが自分を助けてくれると思えば
止まるだろう。しかし誰も助けてくれないと思うから止まれない。
だから神経症者は何としても出世をしたい。それは何であってもいい。
皆から尊敬されるものであれば、自分がそれを好きか嫌いかは問題ではない。
というよりも神経症者は自分が何を好きか嫌いかが分からなくなっている。