不安でなければ多少辛くてもこのままでいいやと思える

嫌いな集団にいても、「私は嫌い」と知っていれば無気力にはならない。
しかし私は嫌いと意識できていなければヤル気はなくなる。

「意識で好き」で「無意識で嫌い」では意欲を失う。
生きていて楽しくはない。わけもなく不安になる。自分が自分でどうにもならない。

心の中で相手は敵なのにいい顔をするから疲れるのである。
味方なら接していても疲れない。

相手を敵と感じているのに、うまくやろうとすれば疲れる。
うつ病になるような人は、「ありがとうございます」と言いながら、
できない仕事をいっぱい引き受けてくる。

嫌な仕事を「ありがとうございます」と言って引き受ける。
楽しければ人間は不安にならないが、逆もまた真である。

不安でなければ生きていて楽しい。不安でなければ多少辛くてもこのままでいいやと思える。

それが不幸を受け入れるということである。
つまり不幸を受け入れるためには、嫌いなことを嫌い、
好きなことを好きと思っていることが条件である。

嫌いなことを好きと思っている人はなかなか不幸を受け入れることはできない。

嫌いな人の中にいて、嫌いと知らなければ、不安になる。
嫌いな人の中でいい顔をしていればエネルギーを消耗する。疲れる。

嫌いなことを好きと思ってしていればわけもなく不安である。
嫌いなことを嫌いと思って仕事をしているほうが心は疲れない。

嫌いな母親を好きと思って生活していれば、子供は疲れる。
子供の心は不安になる。そして親を捨てられない。