何故いつも焦っているのか

神経症者はすべての人に好かれようとする。
それは心のどこかで保護を求めているからであろう。

自分の生きる道は自分で切り開くと気概があれば、
それほど人に好かれようと無理する必要はない。

神経症者は他人の好意にもたれかかって生きようとして八方美人になる。
他人の好意に感謝するのはいい。他人の好意で何かするのもいい。

しかし他人の好意によってしか何もできなくなるというのが問題なのである。
他人の保護をあてにして生きることは気持ちが自由ではない。

大人になって一人で楽しめない人は、実はそこに存在しない愛着人物を
求めているのである。

早く帰らなければと気持ちが焦る。では家に帰って何か急ぎの用事があるかと
いえば、そんなものはない。現実に急ぐ必要は全くない。

それなのに早く帰らなければと気持ちが焦る。
いつも次の行動に移ることによって、今感じている不安を減少させようと
しているのであろう。今していることがいつも不安なのである。

今美しい夕日を見ている。それが美しいとは頭で分かっている。
しかし実は何かに追い立てられている。何か他のことをしなければと焦っている。

小さな子供が母親不在で不安になり泣き叫ぶ。その泣き叫びたいのを我慢して
楽しく遊んでいるフリをしているところを想像してみると分かる。

本当は泣き叫ぶという愛着行動をとりたい。しかしそうでないフリをする。
それでは落ち着いて現在の行動に集中できるわけがない。

家に帰る急ぎの用事もないのに早く帰らなければと焦る人は
実はこんな状態ではないだろうか。

つまりこんな状態の時、不安な子供なら愛着行動をとるところなのである。
小さな子供なら母親の膝の上に抱かれることで愛着行動は終了する。

しかし一人でいることを楽しめない大人は、もともと存在しない愛着人物の
後を追いかけているのだから、いつまでも後を追う愛着行動は終わらない。

だからいつも焦っている。
つまりその人が本当にしたいことは愛着人物の後を追うことなのに、
それを我慢して他のことをしているのだから焦るのである。