無意識の領域で自分はのけ者であるという感じ方をしている
不安な人は相手の声の調子一つで関係の破壊まで予測してしまう。
事態が深刻なのではなく自分の心の中が深刻なのである。
心の深いところで相手とつながっていないので、ちょっとした相手の顔の
表情で気分が一変する。
つまり相手の声の調子一つで自分達の関係が終るのではないかと不安になるのである。
それだけ相手との関係が不安定であるということだし、またそれだけ相手が大切で
あるということでもある。
相手がそこまで大切でなければ声の調子一つでそこまで心が動揺するものではない。
つまり彼等は自分の存在のもっとも奥深いところを支えている人との関係が
そこまで不安定だという悲劇を背負っている。
彼等は防衛的性格で表面は見事に社会的に適応しているようであるが、
心の中はそのように不安と恐怖に満ちているのである。
相手の声の調子一つで気分が一変されるのでは相手はたまらない。
こちらは不安だから、安心したくて相手が最高の気分でいることを求める。
しかしそのようなことを要求されるほうにしてみればかなわない。
心理的に健康な人であっても機嫌がいいときもあるし、機嫌が悪いときもある。
相手との関係を終りにしようとか、離れようとかそんな深刻なことではなくても、
相手に機嫌悪く接するときもある。
ところがそれが邪魔者意識に苦しむ相手に与える一撃は計り知れないものがある。
際限のない受け入れを求めるということは、それだけのけ者意識が強いと
いうことである。それだけ不安だということである。
健康な人なら相手の機嫌もそのうち良くなるだろうと楽観的に考える。
しかし不安な人は、そのようには考えられない。
一度相手の機嫌の悪さに接するとそれでもうおしまいと考えてしまう。
心理的に健康な人はそう極端に走るものではない。
不安な人は際限のないほど受け入れられていなければ、それはもう拒否と同じなのである。
それが無意識の領域で自分はのけ者であるという感じ方をしているものの悲劇である。
その悲劇から逃れたければ自分の心の底の自我像を正面から直視するしかない。
そして現実の自分と心の底の自我像とは全く違うということをはっきりと認識することである。
はっきりと認識するということは、もっと楽観的に物事を考えられるようになる
ということである。