笑われる存在でしかないと錯覚してしまった

小さい頃、できてもできなくてもいいことが、できないといって
からかわれたことはなかったであろうか。

からかわれると傷つくものである。
どうでもいいことに固執して、せっかくの自分の力を発揮できる機会を
逃してしまうような人は、その小さい頃の傷を癒そうと必死に
なっているのではないだろうか。

小さい頃、自分の周囲にいた底意地の悪い人達の犠牲になって
生きているのである。そんな馬鹿らしいことがあっていいのだろうか。exclamation&question

自分の持っているものには価値がないと感じ、
自分の持っていないものには価値があると感じてしまうのは、
小さい頃、周囲の人からそのように扱われたからにすぎない。手(パー)

小さい頃、あなたが何かをやろうとしてできなかった時、
それができなかったからといって、あなたをからかった人々を許してはいけない。

幼い頃、何かをしようと必死で挑戦した。その時、失敗を嘲笑された。
その時から自分は、笑われる存在でしかないと錯覚してしまったのである。ふらふら

また、必死で挑戦をして失敗した時、わざとらしく失望のため息をつかれた人もいる。
周囲の人の失望のため息に接した時から、自分に失望してしまう。

その人が大人になり、何かができないと、自分は失望される存在でしかないと
思い込んでしまうのである。どんっ(衝撃)

世の中には、逆の環境で育った人もいるだろう。
小さい頃、何かに必死で挑戦した時、失敗しても励まされ、なぐさめられてきた。

こういう人は自分が必死で何かに挑戦すれば、それは、失敗しても決して
自分の価値を低めるものではないと感じる。

自分にないもの、欠けているもの、不足しているものを価値があると
錯覚してしまうのも、小さい頃、自分にとって重要な人に、
自分の欠けているもので責められたことがあるからである。
逆に自分にあるものを誉めてもらえなかったのである。