表面上はうまく付き合っていても、本当はみんな嫌いである

燃え尽き症候群の人は心の底には憎しみを宿しているが、
人のためには働く。気に入られたいためである。

だから人の喧嘩の仲裁などに入ったりする。注目されたい。
飲み屋で言い争いが始まると、「まー、まー」と間に入るような人である。

燃え尽き症候群の人にとっては、接している相手は「自分を不安にする他人」である。

燃え尽き症候群の人が世の中で生きている不安は、英語を話せないで
アメリカ人と一緒にいるような不安である。

だから燃え尽き症候群の人は、相手に対して自分を出していない。
自分を出すと嫌われるという不安が、燃え尽きた人にはある。

燃え尽き症候群の人がお世辞を言うのは、相手をなだめるためである。
相手に取り入るためである。

相手が「恐ろしい他人」なのだから、なだめなければならないのである。
相手を虐待するのとは反対に、今度はこの恐ろしい相手に迎合する。

もちろんそういう他人といても、燃え尽き症候群の人には安らぎはない。
迎合するからといって、燃え尽き症候群の人は他人を好きなわけではない。

嫌いである。迎合しながらも、その人は嫌いである。
燃え尽き症候群の人は、とにかくみんな、人が嫌いなのである。
搾取され続けているのだから当たり前である。

燃え尽きた人はいつも周囲に「いい顔」をしているが、周囲の人が本当は嫌いである。