自分で自分を縛ってはいけない

幼い頃自分の弱点を周囲に受け入れられた人は、大きくなっても
自分の弱点を自分で受け入れることができる。

そういう人は大人になっても相手の前で自分の弱点を正直に示すことができる。
それは、自分の弱点を示すことで相手との関係が壊れるという
不安がないからである。

神経症的人間関係の中で育った人は、まず自然な人間関係の中で
育った人と付き合うように努力することである。

神経症的人間関係を維持したまま、頭の中で「リラックスしよう」と
努力してもリラックスできるものではない。

ところが、実際にリラックスしている人と付き合っていると、
そのリラックスしている有様を眼のあたりにして、ふと自分もリラックスして
いいのだと感じることがある。

どんなにリラックスしようという意志を持ってもリラックスできないのに、
何かふと吹っ切れたような感じになって、「あー自分だってリラックスして
いいんだ」と感じられる。

そしてふと、弱点を出しても、見捨てられないのではないかと感じられてくる。
神経症的人間は、自分が弱点を示すと、相手は自分を見捨てて他の人の所に
行ってしまうのではないかと恐れる。

幼い頃、親の満足のために献身することを暗に要求されたことの悲劇である。

神経症的人間は、相手がこのままの自分を好きだということがどうしても感じられない。

人を好きになるということは、必ずしもその人に弱点がないということが
条件ではない。相手は自分を好きなのである。だから多少弱点があっても関係ない。

神経症的な人はリラックスしている人を観察することである。
そして相手がこんなにリラックスしているのに、どうして自分だけ
リラックスしてはいけないのだろうと考えてみる。

すると、ふと自分で自分を縛っているのが馬鹿らしくなるはずである。