愛されないで育った人の人生の課題
美人に生まれるか、不美人に生まれるかは運命である。
しかし、眼に見える不公平は不公平なうちに入らないのかもしれない。
人生にはより深刻な、眼に見えない不公平がある。
運命を受け入れにくいのは、この眼に見えない不公平のほうであろう。
子供にとって深刻なのは、眼に見えるそれぞれの親の財産の不公平ではなく
眼に見えないそれぞれの親の心理的健康、不健康からくる不公平である。
富の不公平ではなく、ノイローゼの親と心理的に健康な親が
子供の心に与える影響の不公平である。
愛されないで育つ人もいれば、愛されて育つ人もいる。
愛されて育った人は、大人になって素直になり多くの人に好かれる。
しかし愛されないで育った人は、大人になってひねくれて多くの人に嫌われる。
そして同情を求めて、いつまでも不運な過去を引きずり、今を生きられない。
もう人生の先は短いというのに、私は愛されなかったと声高に叫んでいる
人がいたとしたら、あなたはどう思うだろうか。
あの人はそう言い続けて、何もしないで死んでいくつもりなのか、
と思うのではないか。
そのどうしようもない不公平を、どう受け止めて生きていくか、
愛されないで育った人の人生の課題である。