他人を正しく把握することを禁じられてきた
「我々はみんな一緒だ」と集団意識を盛り上げながらも、それは実は、
ある子供の健康な利己主義を封じ、自分達の利己主義を通すためのものである。
「国のため」が、ある一定の人々の利益のためのように、
「家族のため」も家族の中の強い立場の者のためである。
しかも、ここで大切なことは、自分の利己主義を通すためにもち出してきた
「家族のため」を、その利己主義者が信じているということである。
要するにウソ、ウソ、ウソだらけの世界で彼等は育ってきている。
利己主義者自身が自分は利己主義であるという感じ方を抑圧し、
自分は家族のために何かをやっていると思っている。
そして子供に、自分をそのように見ることを強制している。
子供は恐怖から、親をそのように見る。
このような環境で育った者が、どうして他人の人格を尊重したり、
他人の性格を感じとったりすることができるだろうか。
彼等は長いこと、他人を正しく把握することを禁じられてきたのである。
彼等は真実を知ることを固く禁じられて育った。
彼等は他人と親しい感情を交流することが禁じられてきた。
親しくなることが不可能な環境で生きてきた。
親しくはないけれども、外見は親しくすることを強制されてきた。
愛することも愛されることもできない親と、愛情深い親子を演出して生きてきた。
だから成長してからも、友人との間に親しいコミュニケーションはない。
相手の特性や性格が分からなくて、親しい友情が芽生えるはずがない。
自分の本当の感じ方を禁止されて育った者は、親しい友達はできない。
もし他人と親しくなりたいのなら、自分が感じていることを感じるしかない。