自分とは関係ないことを、関係ないこととして処理できない
自責傾向のある人は、自分が責められていないのに自分が
責められていると錯覚する。そこで他人の不機嫌におびえる。
相手が不機嫌になると自分が責められていると思い込むからである。
なぜそう思い込むか?
それは自分の心の底にやましさがあるからである。
やましさがあるから、他人が不機嫌なのは、自分とは関係ないと思えないのである。
こうした人々は不機嫌の意味を理解する心理的ゆとりがない。
その様な理解をする能の回路がまだできていない。
「不機嫌」→「責められている」という神経の回路が高速道路のように
流れやすくなっているのである。
つまり、小さい頃はこの感じ方は正しかった。
親はその子を叱れないで、不機嫌になっていたからである。
親は子供を責めるときに、決まって不機嫌になった。
そこで「不機嫌」→「責められている」という神経の回路ができあがって
しまったのである。
しかし大人になってからは、この感じかたは正しくないことが多い。
自責傾向のある人は自分とは関係ないことなのに、自分が責められている
ような気がしてくる。そこで他人が機嫌が悪くなるとおもしろくない。
自分が責められているようなことをしていないのに、責められていると
感じるからおもしろくない。そこで不機嫌な相手に絡むことになる。
不機嫌な人にしてみれば「あなたとは関係ないのだから、ほっといてくれ」と
いうところであるが、自責傾向のある人はほっとけないで絡む。
自責傾向のある人は、相手が上機嫌でないと不満である。
一方で自分を責めながら他方で相手に甘えている。
相手が不機嫌だと甘えの欲求が満たされないので絡んだり、
すねたり、落ち込んだりする。そして不満だから、相手を非難する。
しかし自責傾向があるから、相手への非難をストレートにできないで絡む。
自分とは関係ないことを、関係ないこととして処理できない。
他人が不機嫌なのは、自分とかかわっていない人生での出来事が
原因であると理解できれば、自責的な傾向もなくなる。
相手をしっかり見れば、そういう問題は少しは解決する。
自責的傾向で悩んでいる人は、相手も、その場の状況も、自分の立場も
しっかりと把握していない。