尊敬に対する度をすぎて要求を持つ者は、繰り返し酒に頼るという
よく「○○と酒を飲んだ」と得意になっている人がいる。
そう言ってる人も、またその相手も、低い自己評価で苦しんでいることがある。
「○○と酒を飲んだ」と得意になっている人を観察すると、権威に憧れながらも、
その憧れの裏に権威に対する敵意がある。
これで本当に楽しいはずがない。生きるということは楽しいことなのである。
ところが、自分の内部で、様々なものがぶつかりあうから楽しくないのである。
例えば、権威に対する憧れと、権威に対する敵意がぶつかりあう。
これで楽しいわけがない。
低い自己評価に苦しむ者が、同じく低い自己評価に苦しむお金持ちや権力者と
付き合っても、何ら問題の解決にはならない。
本当に好きな人と一緒にいる時は、相手にあまり色々な要求を持たない。
このことは、自分が今一緒にいる人を本当に好きかどうかの大切な目安になる。
本当に好きな人と一緒にいれば、一緒にいるというだけで満足し、相手にこういう
態度で接してもらいたいといった要求はなくなるのである。
だから、逆に言えば、服従に対する要求を相手に感じたら、相手は自分を
本当に好きではないということである。
本当に好きな者同士であれば、相互の尊敬と理解はごく自然に生まれてきて
要求という形をとらない。