自分のしたいことがないままに、人の目を意識している
うつ病になるような人は、コミュニケーション能力がない。
いい人と言われなければ生きていけない。
そこが最大の問題なのである。
幼い頃、トコトン孤独に追いやられた時点から、うつ病への準備が
始まっていたのである。
途中で幸いにも、心優しい人に出会えて、コミュニケーション能力を身につけて、
自分の感情表現ができるようになったり、孤独でなくなったりする人もいるだろう。
しかし、そういう人との出会いに恵まれないままに大人になってしまう人も多い。
うつ病になる人には、長い、長い過去の歴史がある。
たしかに、直接的なきっかけは会社のストレスかもしれない。
家庭でのストレスかもしれない。あまりにも忙しくて、休養がとれない日々の
結果かもしれない。
しかし考えてみれば、その会社にも、のうのうと楽をして高い給料を
もらっている人がいるのである。
あるいは忙しいフリをして怠けているだけの人もいるかもしれない。
どこの組織にも必ず、ずるい人がいる。口先は立派だが無責任な人はいる。
人当たりは良いが、根はずるい。人を利用する搾取タイプはどこの組織にもいる。
問題は、なぜうつ病になった人が、その忙しすぎる役割を引き受けさせられたのか
ということである。引き受けなくてもよかったのではないか。
引き受ける羽目になった理由はある。
甘い汁を吸って生きる人達の犠牲にさせられる習慣が身についていた、
ということである。その人達の周囲の人間関係には、搾取と被搾取の構造が
すでにできあがっていた。
そして、本人が孤独だから、人から認められたくて、その損な役割を断れなかった。
仕事を家にまで持ち帰るのは、早くこの仕事をしなければ、上司に何か
言われるのではないか、と気にするからである。
自分のしたいことがないままに、人の目を意識している。
あらゆることにイエスと言うのは、判断能力がないからである。
仕事の量もコントロールできない。
自分のエネルギーを考えないで、会社で無理な位置にいる。
そして、うつ病になるような人の優しさである。
孤独と同時に、これが弱さになる。
気の毒なことに、そこまで無理に嫌な仕事を引き受けても、
求めている賞賛がなかなか得られない。