いつも不満がくすぶっている

神経症的な人は他人に対して傲慢になるが、傲慢になることでは
心理的な安定を得ることはできない。

彼らは自分中心に世の中が動くべきだと信じている。
もちろん彼らがそう意識しているわけではない。

彼らが当然だと信じている要求は、第三者から見るとまことに
独り善がりの身勝手なものでしかない。

例えば隣家の物音は許し難いが、自分の家の騒音は当然のことであって
この音をうるさいと感じること自体が許せないのである。

隣の家は自分の家に音によって迷惑をかけてはならないが、
自分の家の騒音を近所の人が耐えるのは当然の義務と信じる。

また自分の家の音を、たとえそれが改装の工事だろうと
ピアノの音だろうと、うるさいと近所が感じていること自体を理解できない。

神経症の人間の当然と信じる要求は、信じ難いほど身勝手なのである。
自分のやることは全て良く、他人のやることは全て悪いと感じる。

そしてもし他人と自分が同じに扱われるなら、それは極めて不公平な
ことと感じ憤慨する。

第三者から見ると、その人は特別な権利が与えられていると
信じているのではないかと思えるが、そうではない。

それが彼らにとって公平なのである。
したがって相手がどんなにゆずっても、ゆずってもらったという意識はない。

利害が一致しない時相手が折れても、決して相手が折れてくれたとは感じない。
相手が折れるという枠組みでものを考えられないのである。

近所や仕事仲間にこの神経症的要求を持った人がいると、周囲の人は困り果てる。
神経症的な人は自分の望みが望みではなくなってしまう。こうすべきだになる。

よくケチな人というのがいる。このケチな人の中に神経症的人間も多いようである。
自分がケチとは意識していない。むしろ周囲の人が自分を不当に扱っていることに
不満だったりする。

とにかく神経症的要求を持っている人は、常に自分がいちばん得をしていなければ
気がすまないのである。世の中には男といわず女といわず神経症的欲求を
持っている人は多い。だからいつも不満がくすぶっているのである。