極端な言葉で考えている
うつ病者は極端な言葉で考えることがある。
例えば「誰も私を愛してくれない」とか「人生は無意味だ」とか
「私には何も残されていない」とかいう言葉である。
言葉も極端、判断も極端である。
現実には「誰も私を愛してくれない」ではなく、
「私を愛してくれない人もいる」であろう。
「私には何も残されていない」ではなく、
「私には失ったものがある」である。
生きることそのことが精一杯なうつ病者はどうしても、
嘆くような解釈になる。
嘆くことで自分を癒している。
こうした誇張の言葉は「さらに欲しい」という意味である。
あるうつ病者が「私にはお金がない」と言ったとする。
それを聞いてホームレスが、「オレと同じだ」と言ったらどうなるか。
その人は怒るであろう。
うつ病者が「私にはお金がない」という意味は、
心理的健康な人が「私にはお金がない」という意味とは違う。
うつ病者に限らず、誇張した表現をするのは欲張りな人である。
つまりうつ病者は欲張りだから誇張した表現になる。
「私には何も残されていない」というが、「ない」が
言葉通りの意味とは違う。
この人達が「ない」というのは、「もっと欲しい」という意味である。
「ない」という言葉は欲張りの判断基準になる。
「もっと不幸な人もいる」という比較は、解決にならない。