神経症者の恋人の責め方
恋人が何をやっても、その気持ちを責める。
「嫌々ながらやってくれてもちっとも嬉しくない」というような事を言う。
遅刻する自分を喜んで待っていなければいけないのであり、
病気であっても喜んで買い物に行かなければいけないのである。
たとえ熱があっても喜んで神経症者とのデートに付き合わなければならない。
夫婦になっても同じである。家の者が疲れていても、喜んで家の仕事を
手伝わなければいけないし、どんな時でも喜んでニコニコしていなければならない。
「喜んで」しなければ、「俺は気持ちが欲しいんだ。そんな顔でしてくれても不愉快なだけだ」となる。
何をするにも完璧な愛と忠誠と喜びに満ちていなければ、妻子を責め苛む。
そんなことは無理に決まっている。その日の体の調子もあれば気分もある。
神経症者の場合、同じことが自分にも行われる。人間は神様ではない。
いつも喜んで立派なことができるわけではない。時にはふて腐れて善行をする時もあるだろう。
しかしそういうことは許さない。善行の動機を詮索する。
恋人が自分のために心の底から喜んで犠牲になっているかどうかを詮索するように、自分についてもそれをする。
恋人が何かを自分に譲った時、心の底から喜んで譲っていなければ怒り責める。
「そういう気持ちで譲ってくれても嬉しくない」というようにである。
心の健康な人は、だいたいのところで満足する。
まあ、だいたい人間とはこんなものだろう、という程度のところで満足する。
まあまあ、仕方ないやという程度の気持ちで譲ってあげても、自分を責めたりはしない。
また恋人が、しようがないわねえということで譲ってくれても、満足する。
譲る動機を詮索し、純粋なものでなければ恋人を責めるなどということをしない。
それは実際の恋人を見ているからである。
自分の心の中でこうあって欲しいという理想の恋人像を見ているのではなくて、
実際の恋人を見ているから、まあまあのところで満足する。