楽しいと感じる能力がすり切れている

心理的に健康な人が、夕陽を見て「わー、綺麗」と
手を合わせても、うつ病者には美しいという感動はない。

美しいということを感じる能力はない。
幼い頃から、ただ人に怯えてイヤなことに耐えて生きてきて、
もう美しいなどと感じる心の余裕はなくなっている。

その消耗しきった心を、心理的に健康な人は理解しない。
そこでつい「ねー、あんなに真赤な夕陽で・・・」と言う。
だから、うつ病者にとってはその人がそばにいるのが煩わしくなる。

人は生きているからこそ感動がある。
しかしうつ病者は、その感動すること自体ができなくなっているのである。

幼い頃からイヤなことばかりだったから、何かを見て感動するだろうか。
幼い頃から不愉快なことばっかりだったら、何かを積極的にする気になるだろうか。

何を食べてもおいしくない。何を飲んでもおいしくない。
何かを体験して嬉しいとか楽しいとか感じる能力が、うつ病者はもう、すり切れている。

あまりにも我慢しすぎたのであろう。
我慢に我慢を重ねて生きているうちに、楽しみを感じる能力そのものが失われてしまったのである。

ここで大切なのは、変わったのは自然ではない、ということである。見るほうの「私」である。

自然は今も昔も神々しく輝き、夢におおわれている。
楽しくないのは人生ではない。生きている私のほうである。

夢は今も「そこ」に、ある。それを見ようとしないのは、私である。