マザコンの子供はたいてい自分は親孝行であると思っている

自己疎外された人は、自分が人を喜ばすことに生きがいを見いだしてしまう。
人が喜ぶこと、そのことが大切なのではない。
自分のしてあげたことで相手が喜ぶことが大切なのである。

その結果、他人に執着するようになる。自分の人生の意味が他人の感情にかかってしまう。
それだけ他人が自分にとって重要になる。すると他人なしに生きることができなくなる。
当然のことながら他人の自由を許すことができなくなる。

自己実現している人も他人を喜ばそうとする。
しかし同じことを他の人が誰かにしてあげてその人が喜んでもああよかったとホッとする。

子供の喜ぶ顔を見ることが生きがいになっている親もいる。
しかしどんなに子供の喜ぶ顔を見ることが生きがいになっている親でも
自己疎外されている親は子供にとって望ましい親ではない。

子供の心理的成長に障害となるのである。
問題は、このような親はたいてい自分は立派な親だと思い込んでいることである。

子供の喜ぶ顔を見ることが生きがいになっている背後の動機が
問題なのである。喜びの後ろに隠されている自己空虚感が問題なのである。

親が自分にとって最も遠い存在であるという子供がたくさんいる。
そのような親はたいてい自己空虚感に悩まされながら、子供を喜ばそうとした親である。

子供は誰の前よりも親の前で自分の感情を偽ったからそうなったのである。
あるいは誰よりも親を恐れていたからである。

それは親が誰よりも子供が喜ぶことを強要した結果である。これはもちろん逆に親孝行を考えるときにも当てはまる。

親の喜ぶ顔を見ることの喜びの背後に何が隠されているかで、それは親孝行にもなり、また単なるマザコンにもなる。
そしてこの場合にも子供の自己認識に勘違いが生じる。
つまり自分は親孝行な子供だと思っているが、じつは単なるマザコンの子供という人がいる。

マザコンの子供はたいてい自分は親孝行であると思っている。