大人になって問題を起こす良い子と、その親の関係

不安には、現実的不安と神経症的不安と二種類ある。
良い子の不安は現実的不安ではない。神経症的不安である。

現実的不安とは、留学する国の言葉がよくできない人が、
自分は大丈夫だろうかと思う不安である。
この給料で、家を建て始めてしまって大丈夫だろうかという不安である。

それに対して、神経症的不安とは、自分が自分ではないという
ところから生まれる不安である。

親が実際の自分とは違う自分を期待し、それに応えようとしたところから
生まれる良い子の不安である。

外国の山を登っている時に、道に迷ってしまった。不安である。
どうしていいか分からない。その時に山小屋が見つかった。

そこに、初めて見るおじさんがいた。すると、そのおじさんを良い人と思うだろう。
そこにいさせてもらえば「すいません、すいません」と言って、
そこにいることになる。

そのおじさんがひどく気難しい人で、いつもイライラしていても、
良い人と思ってしまう。そのおじさんが、迷い込んで来た人を
労働力と思ってこき使う人でも、良い人と思ってしまう。

大人になって問題を起こす良い子と、その親の関係は、この迷子と
気難しいおじさんの関係になってしまっているのである。

良い子は一人で道に迷っているような子なのである。
不安で淋しいのである。

そのおじさんの言いなりになって二十年生きて、おじさんが死んだ。
相手の顔色をうかがって二十年生きていても、生きる知恵は何もついていない。

おじさんが死んで、どうしていいか分からない。
これが従順な良い子が大人になった時の姿である。

するとそこに、おばさんが来た。
そのおばさんに誉められて、今度はおばさんに言われるままに生きることになる。

いわゆる従順な良い子は、どこかでゼロになる覚悟を決めて再出発しない限り、
常に誰かの道具として生きることになる。