親しさを知ると無価値観は消えていく
本当のことが言えない。
このためにどれほど人間関係が混乱するかわからない。
またどれほど本人は寂しい人生を送らなければならなくなるかわからない。
泥棒をしている人がいるとする。もちろん自分が泥棒であることを隠している。
ある時ある場所で知人に「その荷物取って」と頼まれた。
「取って」という言葉に敏感に反応し、自分が泥棒であることを
隠している人は、自分の全てを見透かされたと思うかもしれない。
そして「取って」という言葉にこだわりだす。「その言い方はなんだ」と怒るかもしれないし、
相手の言葉が聞こえなかったふりをするかもしれない。
急に怒りだした時にはしつこい。怒りだした本当の原因は「取って」という言葉ではない。
彼が自分の本当の姿を隠していたことである。
こうした時にいくら二人が話し合っても理解し合えることはない。
本当のことが言えないというなかには、それを言ったら相手を責められないということもあるだろう。
ある若者が愛情欲求不満から親に敵意を持っている。彼は「本当は僕が悪い」と思っている。
しかし敵意からとにかく親を責めたい。親を責めるためには自分の責任を認められない。
そこで親に責任転嫁して怒り続ける。
若者であれ、壮年であれ、いつも怒っていたり、いつも不機嫌な人々は
何か本当の感情を人々に隠しているのである。
これは自分の価値を確信できないことが原因であろう。
自分は相手にとって意味のある存在だと感じられないから、
つい自分の重要性や価値を相手に売り込もうとしてしまう。
その結果、本当のことが言えなくなる。